経営者インタービュー詳細

VOL.116

  • 投稿日:2023.5.24
  • 編集日:2023.5.26

「住んで、遊んで、儲けましょう!」なーんて話ウチだから大真面目で出来るのかもしれません。

株式会社 八清

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代表取締役社長西村 直己
「住んで、遊んで、儲けましょう!」なーんて話ウチだから大真面目で出来るのかもしれません。
―西村社長は、どのタイミングで入社されたんですか?

今でこそ、不動産会社で社長をやってますが、学生時代は大学院まで行くような理系だったんですよ。社長である父からは仕事について何も言われなかったので、大学院卒業後は、カメラとかプリンタで皆様もご存知の有名メーカーに就職しました。そこで、ドライバーとかの開発の仕事をしていたんですね。でもね、理系でありながらアメフトに没頭する体育会系でもあったので、朝から晩までずっとコンピュータと向き合う生活というのが肌に合わなかったんですね。「理系のロジカルな思考を持って人と接する仕事はないの?」なんて考えながら、転職先を決める前に2年でメーカーを辞めたんです。

―西村社長は、どのタイミングで入社されたんですか?
―メーカーで開発とは意外です。「ロジカルシンキング」+「人」。そんなこと考えたことも無いです…。それから入社されて現在に至るんですか?






メーカー退職後、手に職というか何か資格を取ろうと思ってファイナンシャルプランナー(AFP)の資格を取ったんですね。その時に、私の仕事について何も言わなかった父が、「ファイナンシャルプランナーとかやるんなら不動産やったら?」と、声をかけてくれて、これをきっかけに入社したんですね。それから、営業を6年やって、建築と設計を2年半やって、それから経理や人事を経験して現在に至ります。
―理系のロジカルな思考と不動産という文系の業界が混ざり合うと何だか化学反応が起きそう…。それを期待して伺いますが、御社の得意分野は何ですか?






私たちが面白いと思う物件や世の中にない物件を作っていくことが得意ですね。
―ものすごく昔、「体育館のような家」っていうのを御社が販売されていたのを未だに覚えています。面白いですし、そんなの見たことが無かったので覚えています。そういうことですか?具体的に御社の事業には、どのような事業があるのでしょうか?






京町家や中古住宅を買い取らせて頂いて、弊社で再生して住宅、別荘、投資用として販売することをメインの事業としていて、一般的な売買仲介や京町家の賃貸管理、シェアマンションの賃貸経営も行っています。
―なるほど。空き家問題というニュースも聞いたりしますが、京町家や中古住宅の再生販売等を通して、お客様にどんな風に貢献していきたいですか?






私たちが提案する不動産を通して、ワクワクしたり、面白かったり、感動してもらいたいんですよ。そういうことが価値になると考えているんです。何階建てだ、設備がどこのだ、部屋数がどうだというスペックよりも感情が動く物件を提案したいですね。弊社では、不動産投資用の収益物件にも力を入れていますので、「住む」「遊ぶ」「稼ぐ」これらを通して、お客様の生活が本当に豊かになるお手伝いが出来たらと考えています。
―単純に住むためや儲けるための物件を扱っている不動産屋さんではないですね。 同業他社と比較しての違いがあれば、差支えない範囲で教え頂けますか?

ワクワクしたり、面白かったり、感動したりという風にスペックよりも感情が動く物件を世の中に対して提案し続けていくので、ひょっとすると一般的な「不動産」という概念には収まりきらず、「不動産」そのものについて再定義をするかもしれません。そこまでしてでも、新しい価値を世の中にリリースし続けたいんです。そういう事に対して、弊社ほどの情熱を持って取り組んでいる会社は少ないんじゃないかとは思っています。

―なるほど。西村社長のお話を聞いていると、不動産だけではなく高スペックなモノで満たされた現代において、面白さやワクワクと言った感情にフォーカスすることこそ、本当の豊かさを追求することなんじゃないかと感じます。スタッフの皆様とは、その思いをどうやって共有されていますか?

現在の弊社の仕事において、物件のデザインや発想力は一人一人のスタッフのポテンシャルによるものが大きいんですよ。ですから、私が常に企画をするのではなく、スタッフ一人一人が素の自分や個性を活かした企画をして頂くために、社員が成長にどん欲になれるような人事制度や福利厚生を充実させていこうと考えています。

―会社の今後については、どのようなことをお考えですか?

ここ数年、需要が増え続けている不動産投資用物件の購入を検討されているような資産税対策のニーズのあるお客様の資産形成をもっと強力にお手伝いしたいと考えています。「リノベーション×資産形成」このようなテーマも持っていて、京都の伝統建築を残しながらの投資という弊社ならではの提案をさせて頂きたいですね。また、「八清ワールド」なんて言ったりしていますが、ただ物件を売るだけではなくて、住んでからの生活の充実についても、フォローしたり提案したりしていきたいですね。「人」を幸せにするためにいろんなことをやっていきますよ。

NEW INTERVIEW新着インタビュー

代表取締役営業マン小原です
MANAGER INTERVIEW VOL.154

代表取締役営業マン小原です

代表取締役 小原 美秋
PKS株式会社
ざっくばらんにお話すると、現在のPKS株式会社を始めるまでに3回事業を興したことがあるんです。まず、1回目は若い頃に飲食店をやりましたが、上手くいかずに閉めることになりました。それから、呉服屋に勤めたんです。当時の日本はバブル真っ只中。高額な着物と言えど飛ぶように売れました。そして、私はその呉服屋で学んだ販売手法を持って独立して呉服の販売を始めました。これが時代の追い風もあり大当たりしたんです。ピーク時は従業員100名で年商18億円を記録しました。しかし、その後訪れたバブル崩壊。この影響をまとも受けて7年で倒産することになりました。その後、その会社の後始末を私一人で呉服や宝石を販売しながらやっていましたがいよいよ行き詰ったんです。そして、公共事業をメインにしていた建設コンサルの会社に就職したんです。当時私は37歳でした。しかし、3年程経った頃、公共事業が下向きになってリストラが始まったりと会社ガタガタ揺らぎ始めたんです。当時私は40歳。転職を決意し、当時の取引先の紹介でプラスチック製品の製造を行う会社に転職することになりました。  
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MANAGER INTERVIEW VOL.152

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代表取締役 田中 光照
株式会社サンライズ
現在のビデオ試写室の前身の事業を、建設系の会社が経営していたんです。前身の事業というのはテレクラなんですが、そのテレクラに20歳の時にアルバイトで入ったんです。これがキッカケです。当時のアルバイトのメンバーは仲のいいメンバーで、働いているという感じよりも、ただそこに居てワイワイしているという感じでした。仕事が8時間で終わっても家に帰ってやることが無いので仲間のいるその場所に16時間位いるというようなことが日常でした。感覚的に皆が8時間で「1」する仕事を、私は16時間かけてやっているような感じでした。つまり8時間では「0.5」な訳です。ですから、上層部は「あいつを辞めさせろ。」と言っていたようなんですが、私の上司であり会社のナンバー2の先輩がそれを止めてくれていたようでした。その期待を受けてという訳ではありませんが、長時間店にいると次第に「0.5」が「0.6」になり、そして「0.7」になっていきました。このようにじわじわ仕事が出来るようになっても、相変わらず私は16時間いますから結果的に「2」やるようになったんです。  
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MANAGER INTERVIEW VOL.149

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代表取締役 奥野 寛
株式会社コスモメンテナンス
先代であり私の父である現会長が勤めていた会社の防災部門が廃止されたことをキッカケに同僚2人と自宅で開業して、年商1億円ほどの事業を展開するも、従業員の一人が転職して、もう一人がなんと元居た会社が防災部門を再開するからということで引き抜きの出戻りに合って退職して、従業員がいなくなったところに満を持して93年に私が入社した。と、この辺りまでは、ホームページ内のブログで書いていましたよね。入社するまでの私はと言うと、学生時代は全然勉強をしてこなくて、京都市内の四年制大学を数校受験するも合格せず、「とりあえず短大に入って卒業のタイミングで四年制大学に編入したらいい!」という話を鵜呑みにして短大に行ったんです。しかし、編入試験には合格せず四年制大学へ編入できなかったんです。ですから、短大卒業後は何か志を持つ訳でもなく、大手ファストフードチェーンで何となくアルバイトをする日々を送っていました。そんな時に、父から「フラフラしてるんなら手伝え!」と言われて手伝いだしたんです。これが家の仕事に入ったキッカケです。