経営者インタービュー詳細
VOL.154
- 投稿日:2023.5.25
- 編集日:2023.5.25
代表取締役営業マン小原です
PKS株式会社
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代表取締役小原 美秋
ざっくばらんにお話すると、現在のPKS株式会社を始めるまでに3回事業を興したことがあるんです。まず、1回目は若い頃に飲食店をやりましたが、上手くいかずに閉めることになりました。それから、呉服屋に勤めたんです。当時の日本はバブル真っ只中。高額な着物と言えど飛ぶように売れました。そして、私はその呉服屋で学んだ販売手法を持って独立して呉服の販売を始めました。これが時代の追い風もあり大当たりしたんです。ピーク時は従業員100名で年商18億円を記録しました。しかし、その後訪れたバブル崩壊。この影響をまとも受けて7年で倒産することになりました。その後、その会社の後始末を私一人で呉服や宝石を販売しながらやっていましたがいよいよ行き詰ったんです。そして、公共事業をメインにしていた建設コンサルの会社に就職したんです。当時私は37歳でした。しかし、3年程経った頃、公共事業が下向きになってリストラが始まったりと会社ガタガタ揺らぎ始めたんです。当時私は40歳。転職を決意し、当時の取引先の紹介でプラスチック製品の製造を行う会社に転職することになりました。
プラスチックの製品の会社といっても、それに付随する仕事をするために入ったのではなかったんです。その会社は海外にも拠点があって、その海外拠点を社長が訪れた時に仕入れた現地のモノを国内に持ち込んで私が販売するというのがミッションでした。しかし、全然上手くいかなかったんです。上手くいかないにも関わらず、役職は部長だったんです。部長ですから社内の他部署の部長クラスが集められる会議に出ないといけない訳ですが、なんせ売り上げが上がっていませんから、バッシングの集中砲火にあう訳です。「どうしていこうか…?」と悩みに悩んでいた時に「メシマコブ」というキノコに出会い健康食品事業をスタートしたんです。すると、これが当たったんです。あっという間に売り上げも1億円程度を記録しました。売り上げが立った訳ですから意気揚々と会議に出たのですが、今度は「健康食品とかいかがわしい。」とバッシングされたんです。これを機に社長と、「売り上げを上げても叩かれるのならいっその事別会社をつくろう!」ということで、PKS株式会社を設立したんです。それが今から17年前の事です。
健康食品で独立してから、化粧品事業、そして環境に無害な洗剤を作る機械、次々にこのような事業を取り入れていきましたが、どれも長続きせず鳴かず飛ばずでした。ここでまた「どうしようか…?」と悩んでいた時に世の中に光ファイバーが出回り始めて大手通信会社と契約を結び既存のマンションオーナーに光ファイバーの導入を勧める営業を始めたんです。しかし、この事業には問題がって、既に建っているマンションに対して営業を仕掛けるのですが、建っている数には限りがあって、尚且つ同業がその限られたマンションを取り合うんです。ですから、営業先が無くなるのは時間の問題だったんです。事業を開始して程なくして案の定すぐに対象となるマンションが枯渇しました。そして、「どうしようか…?」と悩んでいた時に、日本で「電力自由化」が始まっていたことに気付いたんです。この電力自由化、つまり新電力との出会いは私にとってまさに運命的な出会いとなりました。それから7年程経過しますが、現在でも変わらず弊社のメイン事業となっています。
環境に無害な洗剤を作る機械の販売をスタートしたときが辛かったです。私は昔、呉服という高額で高粗利の商材を販売することに慣れ過ぎていて、ハイリスクハイリターンでモノを販売する感覚が染みついてしまっていたんです。しかし、呉服を販売していた時代から随分時間が経っていましたから時代が変わっていて、高額高粗利の商品をバンバン販売するような時代ではなくなっていました。これに気付かなかったんです。これがこの事業を失敗に導いた最大の原因で、四条烏丸で20名程度のスタッフを抱えていた事務所は1年でたたむことになりました。
今まで数多くの事業を行ってきましたが、どの事業も数の多い少ないはありますが「クレーム」というものがありました。それが、現在の新電力においては無いんです。というもの、電力切り替えのご契約いただくと、お客様の電気代は下がるんです。1円の出費もなく書類を書くだけで電気代が下がる訳です。クレームが出ないどころか、お客様からは感謝しかされません。更には、お客様から次のお客様をご紹介いただけるんです。ですから、飛び込み営業やテレアポと言った新規開拓をする必要もないんです。本当にこの新電力事業が私の天職だと感じています。
私は現在59歳なのですが、今までのようにチャレンジを繰り返すのではなく、現在天職と思えている新電力事業をこれからも継続していきたいと考えています。そして、70歳までは全速力で走り抜こうと考えています。また、その途中で現在9人いる孫たちの将来の為に少しでも地球温暖化に対してプラスになることをしたいと考えていますので、再生可能エネルギーの発電所を作れたら最高だと考えています。