経営者インタービュー詳細
VOL.134
- 投稿日:2023.5.24
- 編集日:2023.5.25
❝クラシックカー❞という文化 それを日本に根付かせたい
有限会社 アウトニーズ
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取締役伊藤 悠太
そうなんですよ。ずっと働いていた訳でも、血縁関係があった訳でもないんですよ。順を追ってお話すると、大学を卒業してから現在の車業界とは違う会社に勤めていたんです。その時に結婚もした訳なんですが、あるとき岐阜県の飛騨で自動車整備工場を経営している家内のお父さんから、「後継ぎがいないから伊藤君が後をやってくれないか?」という打診を受けたんです。その打診を断って、当時勤めていた会社で勤め続けることも選択肢としてアリだったんですが、「何だか、面白そう!」。そう感じたので、お父さんからの打診を引き受けました。そして、家内のお父さんの整備工場に入ってから、「何か新しいことが出来ないか?」と模索していた時に、「昔から好きなクラシック・シトロエンのアウトニーズっていう会社が地元にあったな。何か一緒に出来ないかな?」と思ってコンタクトを取ったのが、ここ、アウトニーズと私の最初の接点でした。
一番初めに声を掛けてからというもの、一緒にイベントをやったりすることで関係を深めていったんですね。フランスへの買い付けなんかも一緒に行くような間柄になったんです。そして、今から3年前。いつものように一緒にフランスに買い付けに行ったとき現地で社長が倒れたんです。そうなる前にも社長から、「一緒にやらないか?」というようなことはよく言われていたのですが、社長が倒れたことを機に一緒にやるも何も私がやらないと会社が終わってしまうと感じたので本格的にアウトニーズの経営に参画しました。
それは、大変でしたよ。事業を再起動させるまでに半年程時間が掛かりました。その半年間の中で、まずは事業について社長が倒れても自分が後を引き継ぐということをしっかりとプレスリリースするところから始めて、それから、スタッフの待遇や職場環境の改善を含めスタッフ全員で当時の一大局面と向き合いました。そして、まずは実績を見せることでスタッフ全員を安心させようと、メディアを使った販売戦略を実行して、自分で言うのもなんですが読んで字のごとく売上をV字回復させました。
本当に良いとは言えない状況でした。会社にお金もありませんでしたから。でも、頭を抱えていても仕方ない、自分のビジョンを信じて一歩一歩進んでいくしかない。そう考えて日々、全力で取り組んでいました。こんな言い方をすると、私一人の力でやり遂げたように聞こえるかもしれませんが、そうではありません。スタッフの皆が頑張ってくれたから当時の局面を乗り越えられました。私は、「人こそが命だ」と考えて、スタッフの皆へは感謝の気持ちしかありません。そんなスタッフの皆と一緒に私の掲げるビジョンを達成するために、会社の業績等の数字も含め全てをオープンにして共有しています。また、現場スタッフから上がってくる声の一つ一つを真剣に聞いて検討します。その上で、実行すべきことは積極的に実行しています。そうすることで、現場スタッフの皆も遠慮せずに声を上げられる環境をつくろうとしています。
クラシックカーを通してお客様に楽しみや夢を持ってもらいたいというのは当然のことですが、可能な限りお客様に寄り添うというスタンスがベースにあります。ですから、御用聞きという表現が適切かは分かりませんが、「不動産を探してほしい。」というご相談や、「予約の取れないお店の予約を何とか取って欲しい。」というようなご依頼も、私の人脈や周りの人たちの助けを借りながら可能な限りお応えするようにしています。
会社で私の役割は、「補助ロケット」のような存在になることだと考えているんです。例えば、スタッフに何か新しいプロジェクトを任せるというような場合、それが軌道に乗るまで、その助走を手助けするようなイメージです。それがしっかり出来るよう、日々のネタ集めや人脈作りに力を入れています。
「商店」から「会社」へ。そんなイメージでしょうか?どんぶり勘定と言うかシステマチックに経営するという文化がありませんでしたから。改革した価格の適正化なんてその最たる例です。現在、整備は「基本整備」と「推奨整備」の二つに分けています。お客様には、まず基本整備を説明して、その上でより良いカーライフを送って頂くための推奨整備を説明します。そして、お客様に推奨整備を受けるか否かご判断頂いていて、推奨整備を選ばれた方には、当然その分の費用を頂戴しています。しかし、昔は基本整備の費用でサービスで推奨整備までやっていたんです。こういうことが整備だけでなく事務にも散見されたので、そういう所を徹底的に改革し「商店」から「会社」へ成長していきました。そして、これからについては、クラシックカーという世界マーケットの中で、「アウトニーズ」や「伊藤悠太」が認知されるように、まずはここ日本において確固たる日本一になろうと計画しています。