経営者インタービュー詳細

VOL.143

  • 投稿日:2023.5.25
  • 編集日:2023.5.25

感情の起伏が無く心が荒ぶらず、淡々と食べることが出来る。それが私の精進料理です。

精進料理 出雲

/

代表山口 和現
感情の起伏が無く心が荒ぶらず、淡々と食べることが出来る。それが私の精進料理です。
―まずは、すごい雰囲気のある建物ですね。ここで、どのようなことをされているのですか?

この建物は、大正時代に建てられた所謂京都の伝統的な町家なんですね。この建物と京都駅から近いという立地を生かして、現在のようにコロナ禍になる前までは、海外旅行者の皆様を中心に「お寿司の体験教室」をやっていたんですよ。

―まずは、すごい雰囲気のある建物ですね。ここで、どのようなことをされているのですか?
―お寿司の体験教室ですか。海外からの旅行者さんに喜ばれそうですね。ここで代表をされる前は、お寿司関係の事をされていたんですか?

お寿司だけってことではなかったのですが、飲食に携わる仕事をしていました。飲食業のコンサルタントをしていたんですよ。そんな仕事をしていた時に、この建物の存在を先に知ったんですね。それで、一度この目で見てみたいと思ってここを訪れたときにこの建物のオーナーと出会ったんですね。当時の仕事柄、「何かお手伝いできそうなことありませんか?」って聞いたんですが、そしたらここの「女将」になってくれて運営を任せることが出来る人を探していると言われたんです。飲食業のコンサルタントになる前は、20年程料理教室をやっていたので、その当時の経験も生かせると思ったので、「お手伝いしましょうか?」って言ったんです。それから話がとんとん拍子に進んで今があります。

―この建物が引き合わせてくれた素敵なご縁ですね。名刺に「精進料理」と書かれていますが、こちらはどういうことでしょうか?

昨年から続くコロナ禍の影響で海外旅行が難しくなりましたよね。弊社も、その影響をまともに受けていてお客様の大多数を占めていた海外旅行者の皆様が日本にこれなくなったので方針の変更をせざるを得なかったんです。それで、私のルーツでもある精進料理にシフトチェンジしたんです。

―ご自身のリソースにフォーカスされたシフトチェンジ。お寿司の体験教室からシフトチェンジされてから現在はどのようなことをされているのでしょうか?

一つ目が、精進料理の考え方をベースにした料理教室です。二つ目が、各種パーティーやイベントの開催とそれに伴うお料理の提供です。そして、三つ目がこの建物や空間そのものをレンタルスペースとして貸し出しています。

―レンタルスペースはこの雰囲気を利用したい方々が借りられるのだろうとは思うのですが、精進料理の料理教室やパーティーはどのような方が利用されるのでしょう?

料理教室の場合は、やはり健康志向の高い方々ですね。他にも、お寺主催の精進料理体験イベントとかになるとどうしても、座禅や説法を含めての精進料理体験イベントなので、お目当ての精進料理に行きつくまでに相当の時間が掛かるんです。それと比べてうちの場合だと、気軽に精進料理を召し上げって頂けるかもしれません。また、ただ召し上げって頂くだけではなく、精進料理との向き合い方やその歴史などもお話していますので、経験としても精進料理を楽しんで頂けますよ。パーティーやイベントについては、傾向として、年配の方をおもてなしすることが目的のパーティーやイベントに使って頂くことが多いように感じています。「60~80代の年齢層の方々に召し上がって頂けそうな料理はお願いできますか?」と、いうような問い合わせを多く頂くんです。

―年配の方は喜ばれるでしょうね。パーティーとかで全然食事に手を付けていらっしゃらないのをよく見ますので。精進料理って、あっさりしてるというかパンチが無いというか何となくそんなイメージがあるだけで詳しくしらないのですが、そもそもどういうお料理なんですか?

色々な宗派によって、その考え方には違いがりますので、一概には言えないのですが、私は、「感情の起伏が起きることなく、心が荒ぶらず、淡々と食べることが出来る料理」。それこそが精進料理だと考えています。ですから、お料理を一口食べて目を見開くようなサプライズはありません。体にも心にも優しく、ただただいいものを何の罪悪感も無く召し上がって頂けるように調理と向き合い、お客様からは見えないところにもこだわりを持っています。

―「感情の起伏が起きることなく、心が荒ぶらず、淡々と食べることが出来る料理」というのは初めて聞きました。ただあっさりしているお料理ではないんですね。失礼しました。こんな素敵な空間で、そんなお料理を食べるという経験が出来るのは素敵だと思います。今後はどのようなことをお考えでいらっしゃいますか?

この建物は、ちょうどいい広さの個室で区切られていますから、数人のお友達やお仲間との集まりのような小さい会を開く皆様にとっての特別な空間として使って頂けると嬉しいですね。以前は、国内の皆様よりも海外旅行者の皆様にお越しいただいていましたが、これからは、国内の皆様の出会いの場や色々な縁がつながるような場になればいいなと思っています。

NEW INTERVIEW新着インタビュー

代表取締役営業マン小原です
MANAGER INTERVIEW VOL.154

代表取締役営業マン小原です

代表取締役 小原 美秋
PKS株式会社
ざっくばらんにお話すると、現在のPKS株式会社を始めるまでに3回事業を興したことがあるんです。まず、1回目は若い頃に飲食店をやりましたが、上手くいかずに閉めることになりました。それから、呉服屋に勤めたんです。当時の日本はバブル真っ只中。高額な着物と言えど飛ぶように売れました。そして、私はその呉服屋で学んだ販売手法を持って独立して呉服の販売を始めました。これが時代の追い風もあり大当たりしたんです。ピーク時は従業員100名で年商18億円を記録しました。しかし、その後訪れたバブル崩壊。この影響をまとも受けて7年で倒産することになりました。その後、その会社の後始末を私一人で呉服や宝石を販売しながらやっていましたがいよいよ行き詰ったんです。そして、公共事業をメインにしていた建設コンサルの会社に就職したんです。当時私は37歳でした。しかし、3年程経った頃、公共事業が下向きになってリストラが始まったりと会社ガタガタ揺らぎ始めたんです。当時私は40歳。転職を決意し、当時の取引先の紹介でプラスチック製品の製造を行う会社に転職することになりました。  
”感動探求業” 私たちは感動の価値を上げる探求のプロです
MANAGER INTERVIEW VOL.152

”感動探求業” 私たちは感動の価値を上げる探求のプロです

代表取締役 田中 光照
株式会社サンライズ
現在のビデオ試写室の前身の事業を、建設系の会社が経営していたんです。前身の事業というのはテレクラなんですが、そのテレクラに20歳の時にアルバイトで入ったんです。これがキッカケです。当時のアルバイトのメンバーは仲のいいメンバーで、働いているという感じよりも、ただそこに居てワイワイしているという感じでした。仕事が8時間で終わっても家に帰ってやることが無いので仲間のいるその場所に16時間位いるというようなことが日常でした。感覚的に皆が8時間で「1」する仕事を、私は16時間かけてやっているような感じでした。つまり8時間では「0.5」な訳です。ですから、上層部は「あいつを辞めさせろ。」と言っていたようなんですが、私の上司であり会社のナンバー2の先輩がそれを止めてくれていたようでした。その期待を受けてという訳ではありませんが、長時間店にいると次第に「0.5」が「0.6」になり、そして「0.7」になっていきました。このようにじわじわ仕事が出来るようになっても、相変わらず私は16時間いますから結果的に「2」やるようになったんです。  
”大きく””変わる” それを”大変”と言うのなら 大変な時こそ大事だと思う
MANAGER INTERVIEW VOL.149

”大きく””変わる” それを”大変”と言うのなら 大変な時こそ大事だと思う

代表取締役 奥野 寛
株式会社コスモメンテナンス
先代であり私の父である現会長が勤めていた会社の防災部門が廃止されたことをキッカケに同僚2人と自宅で開業して、年商1億円ほどの事業を展開するも、従業員の一人が転職して、もう一人がなんと元居た会社が防災部門を再開するからということで引き抜きの出戻りに合って退職して、従業員がいなくなったところに満を持して93年に私が入社した。と、この辺りまでは、ホームページ内のブログで書いていましたよね。入社するまでの私はと言うと、学生時代は全然勉強をしてこなくて、京都市内の四年制大学を数校受験するも合格せず、「とりあえず短大に入って卒業のタイミングで四年制大学に編入したらいい!」という話を鵜呑みにして短大に行ったんです。しかし、編入試験には合格せず四年制大学へ編入できなかったんです。ですから、短大卒業後は何か志を持つ訳でもなく、大手ファストフードチェーンで何となくアルバイトをする日々を送っていました。そんな時に、父から「フラフラしてるんなら手伝え!」と言われて手伝いだしたんです。これが家の仕事に入ったキッカケです。