経営者インタービュー詳細

VOL.17

  • 投稿日:2023.5.23
  • 編集日:2023.5.23

何よりも”スタッフの成長が第一” そう本気で思ってます

株式会社 KYOYA

/

代表取締役髙木 政明
何よりも”スタッフの成長が第一” そう本気で思ってます
髙木社長はどんな経緯で飲食の世界に入られて、どんな経緯で独立されたのでしょうか?

18歳から22歳までの4年間、母の経営する美容院で働いていました。しかし、駆け出しの美容師のお給料は10代後半や20代前半を満喫するには十分じゃなかったんです。ですから、毎日美容院の仕事が終わってからBARでアルバイトをするようになりました。美容院の仕事が終わったら朝までBARで働く。そんな毎日を過ごしていました。このあたりからどんどん飲食の世界にのめり込んでいったんです。私は、幼いころから母に「サラリーマンにはなるな!」と言われていたのがずっと頭にあって、働いているときも将来独立するという目線で仕事をしていました。美容院をやめてからBARで勤めるのではなく居酒屋で働き始めたのですが、これも将来の独立を見据えたときに、飲食業界の中でも利益の出しやすいのは居酒屋だと判断したからなんです。とは言え、独立・起業に思考を巡らせる一方、まだまだ20代前半の若者ですから、仕事が終わったらクラブにいって朝まで遊ぶなんていう生活を送っていました。しかし、そんなときに出会った一本のDVDによって、そんな生活も終わりを迎えることになったんです。それは、ご存知の方も多いかと思いますが、てっぺんという居酒屋の「本気の朝礼」というDVDでした。これを見て、「自分なんてまだまだや…。ここまで熱くやりたい…!」という思いが強烈に心に沸き上がり、自己改革を始めたんです。さらにタイミングよく、てっぺんのFCが京都にできることがわかり、何としても働きたいと思い門を叩き働き始めたんです。それから、毎日本気の朝礼を実践し自己改革を続けていたある日、こちらも有名な斎藤一人さんのセミナーで出たんです。そこで、現在も大切にしている「他喜力」という言葉と出会ったんです。「人の喜びを自分の喜びにする力」という意味なのですが、これを学んだとき「自分はこれが好きなんだ。自分は人の笑った顔が好きだからこの仕事をしてるんだ。」と、気付いたんです。そして、それと同時に「人の笑った顔が好きな自分が、飲食という一番人と出会う仕事をしている。自分はこれから一生飲食の世界で生きていく!」と決意しました。これが25歳のときだったのですが、それから本格的に独立に向けて準備をスタートして28歳のときに、「京家きよみず柳馬場本家」をオープンさせました。

髙木社長はどんな経緯で飲食の世界に入られて、どんな経緯で独立されたのでしょうか?
ありがとうございます。現在40歳でいらっしゃるとのことなので、独立されてから今年で13年目になりますが、現在経営者として大切にされている思いや考えとはどういったことでしょうか?

「変なことをしないこと。」「人に尊敬してもらえるような人になること。」「普段の立ち振る舞い、言動、身なりに気を付けること。」基本的なことなのかもしれませんが、こういったことを大切にしています。現在は、一人親方ではなく、会社の代表ですから。こういうところに気を付けて気を配っていれば、あれこれ言わなくても社員の皆もついて来てくれると信じています。

なるほど。やはり、小手先のことではなく基本的な心構えや考え方が大切なんですね。社員さんのお話が出ましたが、皆様へはどのような思いをお持ちですか?よく話されることがあればお聞かせください。

社員やスタッフの皆へは、「成長意欲」を求めています。今の時代、現状維持は難しくて「成長する」か「衰退する」のどちらかしかないと思っています。ですから、今出来ないことがあるのなら出来るように。昨日より今日、去年より今年。このように、常に成長できるように思考を巡らせるようにという話をよくしています。また、私は、経営理念と同じくらい「経営目的」を大事にしていて、その経営目的の一つに「人材の雇用と育成」があるんです。弊社でこれに取り組むことは社会貢献の一つだと考えているんです。どういうことかと言うと、弊社で成長したスタッフが他社さんへ行って、その会社が良くなれば、これも一つの社会貢献になると考えています。このように私は、社員やスタッフの「成長」をかなり大切にしているので、スタッフの成長を感じたらメチャクチャ嬉しいですし、メチャクチャワクワクします。社員やスタッフの皆には、弊社を通して、そして飲食業を通して本当に成長してほしいと切に願っています。

本人は現状維持のつもりでも周りが成長しているから実態は取り残されていることになるので衰退しているという話を聞いたことがあります。経営理念や経営目的はもちろんですが、高木社長の思いや考えはどのように皆様にお伝えされているのですか?

昔、店舗数は順調に増やすことが出来ていたものの、人材育成が追い付いておらず辛かった時期があったんです。その打開策を探すために当時はよく、様々な業界の経営者の皆様が開催されるセミナーに参加していたんです。そんなある時参加した山口県でエステサロンを経営されている方のセミナーでの話の一つに、「会社のルール本を作成してスタッフに落とし込んでいる。」という話を聞いたんです。「これだ!」と雷に打たれたような衝撃を受け、そして、その時に実際のルール本を見せて頂き、全てのページを写真に撮って、ホテルに帰るなり食べるのも忘れて無我夢中で朝になるまで写真に撮ったルール本を手本にしながら自分の会社のルール本を作ったんです。そして、完成したルール本を社員の皆に渡したとき、人材育成が出来ていなかった故そこに書かれたことが受け入れられず退職する人も出ました。しかし、時間の経過とともにそのルール本を通じて私の思いが皆に浸透していき、少しずつ空気が変わってよくなっていきました。

マインドセットというのでしょうか。行動や思考、言動の源泉になるような考え方や心の在り方を示してもらえるというのは、本当に素晴らしいことだと思います。最後に、これからのことをお聞かせください。

現在、経営者として経営や運営に専念していますので、長らくお店には立っていないのですが今年の3月にオープンするBARではお店に立とうと考えています。そして、他喜力を思う存分発揮したいと考えています。また、そのBARをスタッフの皆にとって福利厚生的な使い方が出来る場所にしようとも考えています。私とカウンター越しに話すことで普段と違う話も出来るでしょうから、今までと違う関わり方や空間づくりができるキッカケになればと考えています。また、会社としては、不動産等の資産を持つことで会社としての基盤をより強固なものにしようと計画しています。そして、これからも社員やスタッフの皆を守り、彼らの成長のため事業展開を行っていこうと考えています。

NEW INTERVIEW新着インタビュー

代表取締役営業マン小原です
MANAGER INTERVIEW VOL.154

代表取締役営業マン小原です

代表取締役 小原 美秋
PKS株式会社
ざっくばらんにお話すると、現在のPKS株式会社を始めるまでに3回事業を興したことがあるんです。まず、1回目は若い頃に飲食店をやりましたが、上手くいかずに閉めることになりました。それから、呉服屋に勤めたんです。当時の日本はバブル真っ只中。高額な着物と言えど飛ぶように売れました。そして、私はその呉服屋で学んだ販売手法を持って独立して呉服の販売を始めました。これが時代の追い風もあり大当たりしたんです。ピーク時は従業員100名で年商18億円を記録しました。しかし、その後訪れたバブル崩壊。この影響をまとも受けて7年で倒産することになりました。その後、その会社の後始末を私一人で呉服や宝石を販売しながらやっていましたがいよいよ行き詰ったんです。そして、公共事業をメインにしていた建設コンサルの会社に就職したんです。当時私は37歳でした。しかし、3年程経った頃、公共事業が下向きになってリストラが始まったりと会社ガタガタ揺らぎ始めたんです。当時私は40歳。転職を決意し、当時の取引先の紹介でプラスチック製品の製造を行う会社に転職することになりました。  
”感動探求業” 私たちは感動の価値を上げる探求のプロです
MANAGER INTERVIEW VOL.152

”感動探求業” 私たちは感動の価値を上げる探求のプロです

代表取締役 田中 光照
株式会社サンライズ
現在のビデオ試写室の前身の事業を、建設系の会社が経営していたんです。前身の事業というのはテレクラなんですが、そのテレクラに20歳の時にアルバイトで入ったんです。これがキッカケです。当時のアルバイトのメンバーは仲のいいメンバーで、働いているという感じよりも、ただそこに居てワイワイしているという感じでした。仕事が8時間で終わっても家に帰ってやることが無いので仲間のいるその場所に16時間位いるというようなことが日常でした。感覚的に皆が8時間で「1」する仕事を、私は16時間かけてやっているような感じでした。つまり8時間では「0.5」な訳です。ですから、上層部は「あいつを辞めさせろ。」と言っていたようなんですが、私の上司であり会社のナンバー2の先輩がそれを止めてくれていたようでした。その期待を受けてという訳ではありませんが、長時間店にいると次第に「0.5」が「0.6」になり、そして「0.7」になっていきました。このようにじわじわ仕事が出来るようになっても、相変わらず私は16時間いますから結果的に「2」やるようになったんです。  
”大きく””変わる” それを”大変”と言うのなら 大変な時こそ大事だと思う
MANAGER INTERVIEW VOL.149

”大きく””変わる” それを”大変”と言うのなら 大変な時こそ大事だと思う

代表取締役 奥野 寛
株式会社コスモメンテナンス
先代であり私の父である現会長が勤めていた会社の防災部門が廃止されたことをキッカケに同僚2人と自宅で開業して、年商1億円ほどの事業を展開するも、従業員の一人が転職して、もう一人がなんと元居た会社が防災部門を再開するからということで引き抜きの出戻りに合って退職して、従業員がいなくなったところに満を持して93年に私が入社した。と、この辺りまでは、ホームページ内のブログで書いていましたよね。入社するまでの私はと言うと、学生時代は全然勉強をしてこなくて、京都市内の四年制大学を数校受験するも合格せず、「とりあえず短大に入って卒業のタイミングで四年制大学に編入したらいい!」という話を鵜呑みにして短大に行ったんです。しかし、編入試験には合格せず四年制大学へ編入できなかったんです。ですから、短大卒業後は何か志を持つ訳でもなく、大手ファストフードチェーンで何となくアルバイトをする日々を送っていました。そんな時に、父から「フラフラしてるんなら手伝え!」と言われて手伝いだしたんです。これが家の仕事に入ったキッカケです。