経営者インタービュー詳細

VOL.18

  • 投稿日:2023.5.23
  • 編集日:2023.5.23

職業:ドローンパイロット こんな選択肢を広げたい

株式会社 clip

/

代表取締役山田 貴実子
職業:ドローンパイロット こんな選択肢を広げたい
ドローン事業というとまだまだこれから伸びしろしか感じないめちゃくちゃ楽しみな分野だと感じています。でも、どういったキッカケでドローンで独立に踏み切られたんですか?独立前もドローン関係のお仕事をされていたんですか?

いえいえ、前は夫婦で京都の宿泊施設で雇われオーナーをしていました。ドローンとは全然関係ないというか全く無縁の仕事をしていたんですよ。その前は、その宿泊施設のオーナーが経営する会社で事務の仕事をしていましたから、どこかに勤めながらドローンの勉強をしたっていう時期はなかったんです。そんな私がドローンと出会ったのは、2018年にFacebookで知って参加したドローンの体験会でした。興味本位で参加したのですが、実際ドローンを操作してみるとメチャクチャ面白かったんです。それに、何よりドローンの可能性をものすごく感じたんです。「絶対、これからドローンの時代が来るぞ!」そんな風に夫婦で感じたんです。そして、そんな思いを宿泊施設のオーナーにぶつけたんです。「社長!ドローン事業をしませんか!?」って。そしたら、暖簾に腕押しというか反応がイマイチだったんです。「こんなに可能性がある事業なのに・・・。」なんて思いましたが、オーナーがやらないなら自分たちでやろうっていうことで、2018年8月から個人事業でドローン事業をスタートさせたんです。

ドローン事業というとまだまだこれから伸びしろしか感じないめちゃくちゃ楽しみな分野だと感じています。でも、どういったキッカケでドローンで独立に踏み切られたんですか?独立前もドローン関係のお仕事をされていたんですか?
そんなキッカケでドローンと出会われたんですね。ということは、はじめは宿泊施設の運営をやりながら、ドローン事業もされていたっていうことですか?そこから、どんなキッカケでドローン事業一本にされたのですか?

2018年8月に宿泊施設を運営する傍らドローン事業をやっていた訳ですが、それから1年半ほどして新型コロナウイルスが猛威を振るいだしたんです。当時運営していた宿泊施設は、大手旅行サイトの口コミで京都で1位というような良い評価を頂いていたんですが、そんな施設でも緊急事態宣言等の影響をまともに受け、閑古鳥が鳴く日が続きました。「これからどうなるのかな・・・?」単純にそんな不安が出てきたので、そのままの気持ちをオーナーに伝えたんです。そしたら、これからも今まで通りの待遇を保証できるかわからないという正直な回答をもらったんです。であれば、これをいい機会として夫婦でドローン事業一本でやっていこうと決断したんです。それが2020年4月のことで、法人化したのは2021年12月です。

一回目の緊急事態宣言のタイミングで独立に踏み切られたんですね。それから、もうすぐ2年ほど経ちますが、現在経営者としてどのような思いを大切にされていますか?

現在、ドローンが活躍している現場というのは、建築や建設、そして農業といった男性の多い業界です。それ故、女性がなかなか入り込みにくい現状があるんです。しかし、ドローン自体の操作は女性でもできますし、ドローンが必要な場面というのは単発、短時間の場合が多く主婦に代表されるようなフルタイムで働けない女性にはもってこいの仕事なんです。しかしながら、「女性には無理やろ…。」みたいな見方をされることが多いので、こんな現状を私が先頭を切って変えていって、女性が気軽に入ってこれる業界にして、女性がドローンを使ってドンドン稼げる時代を築き上げたいんです!

時代の開拓者、パイオニアじゃないですか!シンプルにかっこいい!「女性がドローンを使って稼げる時代を築く!」という大目標を成し遂げるために今最も時間を使われていることはどんなことでしょうか?

他の経営者の皆さんも積極的にされていることと思いますが、「情報収集」に時間を使っています。しかしながら、私が情報収集をしてもその情報が私のクライアントにとって有益な情報であるのかは分かりませんし、私の一存や想像だけでむやみに情報収集して情報提供するのもクライアントにとっては、極端な話迷惑な場合があります。ですから、ドローンにまつわるあらゆる情報収集はもちろんですが、それ以上にクライアントが今必要とされていることや、今正に困られていることや現状を知るという意味でのクライアントの情報収集に多くの時間を使っています。

クライアントにとって価値のある情報提供をするためにクライアントの情報収集をするってことですね。これってどの業界にも言えることですよね。女性の活躍の場を作るというのが一つのテーマかと思うのですが、世の中に対してどのような情報発信をされているのでしょうか?

現在はまだ積極的に情報発信らしい情報発信はしていないのですが、これから、「女性のドローンパイロットがゼロから一人前になるドラマ仕立ての動画」を撮影して、YouTubeで発信していこうと計画しています。ドラマにすることで若い女性に楽しく見てもらって、ドローンに興味を持ってもらって、「私も習いたい!」と一人でも多くの方に感じていもらいたいんです。この動画を通じて女性がドローンで稼げるキッカケづくりをしたいんです。

なるほど。現代にマッチした情報発信方法ですね。現在のクライアントとある建設や建築の業界に対してはどのようなお考えをお持ちですか?

現在、建築や建設業界の多くの企業は人材不足に悩まれています。求人を出しても思うような応募がないんです。しかし、求人欄に「ドローン事業部」と言うような「ドローン」というキーワードを入れると、若い年代からの応募が跳ね上がるんです。それくらい、若い世代のドローンに対する感度が高いんです。現在私達のクライアントの多くを占める建築や建設業界の皆様に対しては、このような「求人」という側面からも貢献できるのではないかと考えています。

そう考えると、ドローンっていろんな可能性を秘めているんですね。最後に、これからのことについては、どのようなことをお考えですか?

大きなテーマが二つあります。一つ目は、女性がドローンを使って稼げる社会の実現です。単発、短時間で働くことが出来るので家事と両立しながら働けるステージを作っていきます。そして、二つ目は、クライアント企業を中心とした建築、建設業界の皆様に、社内安全の確保と向上、そして、人材不足の解消をドローンを通して貢献していきたいと考えています。そして、ドローンを通して世の中の皆様のお役に立ち、そして幸せになってもらうお手伝いが出来たらなと考えています。

NEW INTERVIEW新着インタビュー

代表取締役営業マン小原です
MANAGER INTERVIEW VOL.154

代表取締役営業マン小原です

代表取締役 小原 美秋
PKS株式会社
ざっくばらんにお話すると、現在のPKS株式会社を始めるまでに3回事業を興したことがあるんです。まず、1回目は若い頃に飲食店をやりましたが、上手くいかずに閉めることになりました。それから、呉服屋に勤めたんです。当時の日本はバブル真っ只中。高額な着物と言えど飛ぶように売れました。そして、私はその呉服屋で学んだ販売手法を持って独立して呉服の販売を始めました。これが時代の追い風もあり大当たりしたんです。ピーク時は従業員100名で年商18億円を記録しました。しかし、その後訪れたバブル崩壊。この影響をまとも受けて7年で倒産することになりました。その後、その会社の後始末を私一人で呉服や宝石を販売しながらやっていましたがいよいよ行き詰ったんです。そして、公共事業をメインにしていた建設コンサルの会社に就職したんです。当時私は37歳でした。しかし、3年程経った頃、公共事業が下向きになってリストラが始まったりと会社ガタガタ揺らぎ始めたんです。当時私は40歳。転職を決意し、当時の取引先の紹介でプラスチック製品の製造を行う会社に転職することになりました。  
”感動探求業” 私たちは感動の価値を上げる探求のプロです
MANAGER INTERVIEW VOL.152

”感動探求業” 私たちは感動の価値を上げる探求のプロです

代表取締役 田中 光照
株式会社サンライズ
現在のビデオ試写室の前身の事業を、建設系の会社が経営していたんです。前身の事業というのはテレクラなんですが、そのテレクラに20歳の時にアルバイトで入ったんです。これがキッカケです。当時のアルバイトのメンバーは仲のいいメンバーで、働いているという感じよりも、ただそこに居てワイワイしているという感じでした。仕事が8時間で終わっても家に帰ってやることが無いので仲間のいるその場所に16時間位いるというようなことが日常でした。感覚的に皆が8時間で「1」する仕事を、私は16時間かけてやっているような感じでした。つまり8時間では「0.5」な訳です。ですから、上層部は「あいつを辞めさせろ。」と言っていたようなんですが、私の上司であり会社のナンバー2の先輩がそれを止めてくれていたようでした。その期待を受けてという訳ではありませんが、長時間店にいると次第に「0.5」が「0.6」になり、そして「0.7」になっていきました。このようにじわじわ仕事が出来るようになっても、相変わらず私は16時間いますから結果的に「2」やるようになったんです。  
”大きく””変わる” それを”大変”と言うのなら 大変な時こそ大事だと思う
MANAGER INTERVIEW VOL.149

”大きく””変わる” それを”大変”と言うのなら 大変な時こそ大事だと思う

代表取締役 奥野 寛
株式会社コスモメンテナンス
先代であり私の父である現会長が勤めていた会社の防災部門が廃止されたことをキッカケに同僚2人と自宅で開業して、年商1億円ほどの事業を展開するも、従業員の一人が転職して、もう一人がなんと元居た会社が防災部門を再開するからということで引き抜きの出戻りに合って退職して、従業員がいなくなったところに満を持して93年に私が入社した。と、この辺りまでは、ホームページ内のブログで書いていましたよね。入社するまでの私はと言うと、学生時代は全然勉強をしてこなくて、京都市内の四年制大学を数校受験するも合格せず、「とりあえず短大に入って卒業のタイミングで四年制大学に編入したらいい!」という話を鵜呑みにして短大に行ったんです。しかし、編入試験には合格せず四年制大学へ編入できなかったんです。ですから、短大卒業後は何か志を持つ訳でもなく、大手ファストフードチェーンで何となくアルバイトをする日々を送っていました。そんな時に、父から「フラフラしてるんなら手伝え!」と言われて手伝いだしたんです。これが家の仕事に入ったキッカケです。