経営者インタービュー詳細

VOL.23

  • 投稿日:2023.5.23
  • 編集日:2023.5.23

一流の技術者の3つの精神「克己」「研鑽」「貢献」 創立以来90年 不変の教育精神

学校法人日整学園アミューズ美容専門学校

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理事長永田 武則
一流の技術者の3つの精神「克己」「研鑽」「貢献」 創立以来90年 不変の教育精神
―現在、こちらの美容専門学校の他にも教育事業等を展開されていますか?

創立以来、この地で美容に特化したこちらの専門学校の運営にのみ尽力しています。

―現在、こちらの美容専門学校の他にも教育事業等を展開されていますか?
―なるほど。御校の特徴はどのようなことが挙げられますか?

何といっても美容をトータルに学べるということですね。カット・カラー・パーマ・スタイリングはもちろんですが、メイク、着付け、日本髪、ネイル、まつ毛エクステといったカリキュラムもあります。

―学校案内やホームページで案内されている「トータルビューティー」という考え方でしょうか?

そうです。本校では、「美容業界に貢献できる人材の育成」を基本理念としておりますが、卒業後に即戦力としてサロンに貢献できる人材の育成にも力を入れております。その為、どのような場面でも対応出来るようにトータルビューティーに拘っています。また、学生時代に自分で「これだ!」と決めてしまうのは非常にもったいないことです。卒業後、人生の岐路に立たされた時、本校で美容についてトータルで学んでいた経験が役に立つと考えています。

―なるほど。御校の教育方針において「即戦力」がキーワードになるかと思いますが、具体的にどのような取り組みをされていますか?

まずは、一つ目が先にお話しした「トータルビューティー」です。二つ目が「プロ仕様の施設での実践」です。基礎を学んだその先には実践あるのみです。実際の現場さながらの実習室で技術だけでなく接客スキルも学んでいます。三つ目が「担任教員制の導入」です。これにより、挨拶、接遇、マナー、仕事に対する心構えを身に着けます。最後に四つ目が「一流のプロによるセミナー」です。現在も美容業界の第一線で活躍されているプロを招き本物の技術を肌で感じ、学ぶ機会を設けています。

―ありがとうございます。理事長は校長も兼務されているので、日頃から生徒さんと触れ合う機会も多いかと思います。生徒に対し、いつもどのようなお話をされるのですか?

ざっくばらんに色々な話をしますが、どの生徒にもいつも話すのが、「目標を明確に持つことの重要性」です。例えば、将来自分の店を持ちたいのであれば、「いつ」「どこに」「どのような店」というようなことを具体的にイメージするように伝えています。そうすれば、その目標を達成するまでに達成しないといけない「小さな目標」が「時系列」で見えてきます。その「小さな目標」を達成することが重要だと日頃伝えています。

―なるほど。理事長ご自身のどのような経験からそのような話をされるようになったのですか?

30代でJC(日本青年会議所)に入りました。そこで、色々な業界の経営層と親睦を深め多種多様な交流や勉強をした経験によるものが大きいです。なかでも、ナポレオン・ヒルの「Think and Grow Rich」という書籍には感銘を受けました。その書籍の中で、先にお話しした「小さな目標を達成することの重要性」が触れられているのです。

―素晴らしい。ご自身のご経験を語られているのですね。運営スタッフの皆様へは、どのようなお話をされていますか?

スタッフに対しても、「小さな目標を達成することの重要性」等は伝えていますが、それと併せて、「意思疎通」や「報告・連絡・相談」といったごく基本的なことも忘れず大切にするように話しています。

 

―ありがとうございます。最後に今後の展望をお聞かせください。

本校の基本理念である「美容業界に貢献できる人材の育成」を今後も不変の理念としてこだわりを持ち指導・運営に臨みます。また、一人でも多くの学生たちの夢を叶えることにも私として、本校として精一杯のバックアップをしていきたいと考えています。



 



◇取材後記

少子化による生徒獲得競争と教育ビジネスの激化。各社各校が、あらゆる手段を講じ、TVCM等メディア戦略に膨大な広告費を使い生徒獲得競争に乗り出す中、ここ「アミューズ美容専門学校」には、自身の将来に無限の夢を抱き、目を輝かせた優秀な生徒が確実に集まり続けている。これは、理事長の揺らぐことのない基本理念と学生のみならず業界全体への愛によるものではないだろうか。小手先の企業戦略が求められることが多い時代、組織の根幹を形成しているものは何なのかを再確認することが何よりの企業戦略なのかもしれない。

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ざっくばらんにお話すると、現在のPKS株式会社を始めるまでに3回事業を興したことがあるんです。まず、1回目は若い頃に飲食店をやりましたが、上手くいかずに閉めることになりました。それから、呉服屋に勤めたんです。当時の日本はバブル真っ只中。高額な着物と言えど飛ぶように売れました。そして、私はその呉服屋で学んだ販売手法を持って独立して呉服の販売を始めました。これが時代の追い風もあり大当たりしたんです。ピーク時は従業員100名で年商18億円を記録しました。しかし、その後訪れたバブル崩壊。この影響をまとも受けて7年で倒産することになりました。その後、その会社の後始末を私一人で呉服や宝石を販売しながらやっていましたがいよいよ行き詰ったんです。そして、公共事業をメインにしていた建設コンサルの会社に就職したんです。当時私は37歳でした。しかし、3年程経った頃、公共事業が下向きになってリストラが始まったりと会社ガタガタ揺らぎ始めたんです。当時私は40歳。転職を決意し、当時の取引先の紹介でプラスチック製品の製造を行う会社に転職することになりました。  
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