経営者インタービュー詳細
VOL.28
- 投稿日:2023.5.23
- 編集日:2023.5.23
"危機的状況"それを経験する度私たちは強くなる
有明産業株式会社
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代表取締役小田原 伸行
弊社の事業は、祖父が酒蔵に対してお酒の瓶を入れる木箱の製造と販売を始めたことからスタートしています。その後、時代の流れと共にお酒を入れる木箱がプラスチック製になっていきビジネスが縮小していきました。その辺りの時期から、酒造メーカーの製造物流を請負うようになったんですね。この製造物流の請負業が上手くいって、ピーク時は全国8か所に営業所を構えていました。その営業所の一つが宮崎県にあって、その営業所が担当してたのが焼酎樽のある工場だったんです。そして、「昔、木箱の製造をやってたなら樽のメンテナンスや製造が出来ないか?」という相談を受け、祖父がお客様のご期待に応えるべく宮崎に製樽工場を作ったんです。これが、弊社が洋酒樽の製造と販売を始めたきっかけですが、売り上げの比率としては、製造物流の請負いが9割、樽が1割でした。このような状態が2004年頃まで続きました。
私は、大学を出てからすぐに家業に入るのではなく、フォークリフトの会社に就職したんですね。そこで日々営業活動に励んでいたある日、先代の父から、「そのままフォークリフトの会社に骨を埋めろ。」と言われたんです。その理由は、会社の業績が思わしくなかったからだったんですが、それを聞いて私は、「そんなにしんどいなら帰って何とか力になりたい!」と強く思い戻って来たのが2004年4月。そして、そのタイミングで改正労働者派遣法の法改正があったんです。それまで、酒造メーカーの製造物流業務を請負い、そこに対して人員を派遣していたのですが、その請負業がみるみる縮小していったんです。「あぁ・・・、こうやって会社が潰れていくんだな・・・。」そんな風に感じたのを覚えています。
それまでは、酒造メーカー専属で製造物流の請負業をやっていたのですが、それを前職のフォークリフトの会社で培ったコネクション等を利用して酒造メーカー以外の会社へ展開して行きました。これにより、順調に売り上げを取り戻していったのですが、2008年のリーマンショック。それから、世間を騒がせた「派遣切り」。そのあおりを完全に弊社も受けて、製造物流の請負業が完全にダメになりました。樽、請負業以外にも何かをしないといけないと、樽を使ってお箸やマドラーを作ったのですがパッとしませんでした。そんな試行錯誤の日々が続いていたあるとき、商工会議所の「知恵の経営」の取り組みの中で、自社の強みを洗い出す機会があったんです。その時に改めて「樽を作る技術力の高さ」を再確認しました。
以前、既存のお客様のあいさつ回りをしていた時に、「私たちが作るお酒の中でブランド力があるのは樽の焼酎なんです。樽の作り手がどんどんいなくなる現在、あなたのような後継者がいてくれるということは、私たちが今後も事業を継続できるということなので、とても嬉しいんです。」そんなことを言われたことがあったんです。こういうお客様の為にも、樽事業は絶対に残さないといけないという使命感をもっています。また、熟成され、木を感じる樽酒にブランド力がある海外のように、日本国内においても国産の材料を使った樽を広め、私たちが次の日本の酒文化を創っていかないといけない考えおり、これが私や弊社のクライアントや業界に対しての貢献だと考えています。
「我が人生に一片の悔いなし」。そう思いたいので「樽熟成で、次の日本の酒文化を創る」という大きな目標を立てているんです。それを実現させるために、在り来たりな言い方かもしれませんが、常に現状に満足することなく成長し続けないといけないと考えています。その為に、どんなことでも自分の成長に繋がりそうなことには貪欲に取り組んでいます。
「お客様や私の周りの皆様がどうすれば豊かになるか?そして、私自身がどうすればワクワクするのか?」ということを基準に考え、そういう目標の設定の仕方をしています。損得ではなく、この基準で決断した方が良い方向へ向かう確率が高いように感じています。
樽のお酒の普及に力を入れていくことは当然継続していきますが、お客様のお酒のブランド力を上げるために、その発信基地造りにも取り組んでいこうと考えています。このように、お客様に樽を納品しメンテナンスをするだけではなく、今よりももっとお客様を色々な側面からフォローできるように、会社を成長させていきたいと考えています。