経営者インタービュー詳細
VOL.38
- 投稿日:2023.5.23
- 編集日:2023.5.23
"遠くの親戚より近くのデンキ屋" そんなデンキ屋でありたい
長嶋屋株式会社
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代表取締役長嶋 貴生
いえいえ。父が経営していた、いわゆる「町の電気屋さん」には絶対になりたくなかったんですよ。ですから、家業は継がないと決めていました。そのため、学校を卒業してすぐに家業に入ることなく業務用クーラーの販売と施工をやっている会社に就職したんです。そこで、19歳から22歳まで勉強させて頂いて、22歳で業務用のクーラー屋として独立しました。独立してから割と順調に事業を営んでいた時、父が業務用クーラーの仕事を依頼してきたんです。それが、一度だけではなく、何度も何度も依頼してきたので毎日家業の電気屋に出入りするようになったんです。そんな時でも、やっぱり家業の「町の電気屋さん」にはなりたくなかったのを今も覚えていますよ。
業務用のクーラー屋は順調に経営していたんですね。業務用のクーラーの販売と施工だけではなくて、他の電気工事も請負うようになった矢先、リーマンショックが起こったんです。当時頂いていたお仕事のほとんどは、大手の下請けでしたから、リーマンショック以降全く仕事が入ってこなくなったんです。当時は、私一人ではなくて職人さんを雇っていましたから、このままでは彼らの生活が危ぶまれると判断したので、父に頼んで職人さんも一緒に家業の電気屋に入ることになりました。
当時は、メーカー系列一社専属の町の電気屋さんだったんですね。ですから、地域の皆様からは一社専属であるが故「値段が高い」というイメージを持たれてしまっていたんです。これを何とか変えるような努力をしないといけないと言うことで、アトム電器チェーンに入ったんです。これによって、お客様に非常に安く商品を提供できるようになったんですね。これをキッカケにクライアント数が、私が家業に入る前の約2.5倍まで膨れ上がったんです。と、ここまではよかったのですが、この後大きなミスをしてしまうんです。
「売れるから。」ただ、そんな理由で宇治の槇島と乙訓に2店舗出店したんです。結果は、失敗に終わりました。融資を受けて出店したので、手元には借り入れだけが残りました。この時に、伏見のこの店が売れていたのは、「ずっとこの地域にあるから。」なんだと言うことが分かったんですね。そして、それから事業の方向性を模索していた時に、弊社と同じような町の電気屋であるにもかかわらず、業績が素晴らしい電気屋が東京にあることを知り、その社長にアポイントを入れて会いに行ってきたんです。そして、こんなことを教えて頂いたんです。「お客様が今、正に抱えていらっしゃる不安や不満を先に解決して差し上げる。そういうことを繰り返すことでお客様との関係性を作っていくんだ。」と。
私自身の生まれ育ったこの場所において、弊社を含め地域に多く存在する個人商店は地元を如何に盛り上げていくか?ということを考えていかなくてはいけないと考えております。また、最近では、家電を買うとなると量販店やインターネットで購入されるという方も非常に多いです。だからと言って、そこと戦うのではなく、量販店やインターネットでは補いきれない部分を補い、対応していくのが弊社のような地域に根差した町のデンキ屋さんの役目だと考えています。また、地元を意識し盛り上げることで、この伏見の地域内でお金が循環するような仕組みを地域の商店や企業と一緒になって作っていきたいですね。
いくつか考えていることがあるのですが、まず一つ目は地域版のAmazonを作れたらなと考えています。Amazonのように色々な商品を買うことが出来サービスを、この伏見の商店や企業が提供するんです。そして、次に考えているのが、デンキにこだわらず、地域の皆様がその時々で必要とされるものを販売するお店を作りたいですね。また、お店を作るとお客様に対し接客をしますよね。接客をすると、色々なことを感じたり考えたりするのでとても人間成長の場になるとも考えています。そういう場を作るという意味でもお店は作りたいですね。そして、次にモノではなくサービスのネット販売です。腰が痛くて動けないなんて場合に、今すぐ駆けつけてくれる近くの接骨院の先生を探したりすることが出来るようなサイトを作りたいです。そして、最期が4輪の電動カートのレンタル事業です。4輪の電動カートを月額制、且つ低価格でご提供することで、自動車の運転に不安の出てきた高齢者の皆様の免許返納のキッカケになれば間接的に交通事故の減少にも寄与出来るかもしれないと考えております。