経営者インタービュー詳細

VOL.65

  • 投稿日:2023.5.23
  • 編集日:2023.5.26

心が満たされるお料理を提供する僕達のこだわりです。

日月食堂

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オーナー永松 裕太
心が満たされるお料理を提供する僕達のこだわりです。
―ご自身のお店を開業しようと思われたキッカケは何ですか?

僕は、このお店を開く前京都で名の知れた鰻屋さんで働いていたんですね。その時から奥さんと、「将来、自分たちのお店が出来たらいいね。」という話はよくしていたんです。なんとなく将来は自分の店をするんだろうなと漠然と思い続けていた時に、その鰻屋さんでの勤続が10年を迎えたんです。勤続10年。この節目にお店をやめて独立しようかと動き出したときに、現在のこのお店と運命的な出会いをしたんです。

―ご自身のお店を開業しようと思われたキッカケは何ですか?
―なるほど。勤続10年という節目とお店との出会い。何か運命的なものを感じますね。こちらは、鰻屋さんでは無さそうですが、どういったお店になるのでしょうか?






保存料を使用していない調味料を使ったり、有機栽培のお野菜を使ったりといった、自然食にこだわったごはん屋さんです。
―ありがとうございます。現在の場所に開業しようと思われた理由は何ですか?

前に住んでいた場所がここの近くだったので、現在のお店周辺の場所も含め住んでいた所から自転車で動ける範囲で物件を探していたんですね。そんな時に、このお店の前のオーナーさんが田舎に移住するからお店のコンセプトを引き継いでお店をやってくれる人を探しているというような話を奥さんがキャッチしてきたんです。前のオーナーさんも自然食にこだわったお店をされていて僕と奥さんがやりたいコンセプトを一緒だったんです。これは、運命を感じました。そこから、とんとん拍子に話が進んでここ引き継いで開業することになりました。

―なるほど。素敵なストーリーですね。自然食にこだわったごはん屋さんとのことですが、他にどんなこだわりがありますか?






田舎に帰ったときに食べるような温かみのあるご飯をお出しするということにこだわりを持っています。
―なるほど。それはどんなイメージでしょうか?






食事をした後に、単純に満腹を感じるだけではなく、心も満たされたと感じて欲しい。そんな思いで食事をお出ししています。お皿の上にお客様の注文されたお料理をのせてお出しするのは当然ですが、そこに季節感を感じられるアクセントを添えたりして、「おいしそう!」と、思ってもらう以外に気持ちが温かくなるような演出みたいなことを心がけています。また、お出しするお料理だけが自然でナチュラルなのに他が奇抜ではおかしいので、お店の内装も無垢の木材等自然でナチュラルなものを使っています。
―ありがとうございます。他にも自然食を謳われている飲食店があるかと思いますが、他店と比較するとどのような違いがありますか?






良い意味でこだわりすぎていないというところですかね。僕たちは、月に一回のごちそうを食べに来てもらうと言うより、週に何回か気軽にお家ご飯を食べに来てもらいたいという思いでやっているんです。自然食というのは、突き詰めると本当に材料の仕入れが高額になってしまいます。そうなると、提供できる値段が今とは比べものにならないくらい高くなって気軽に来てもらえなくなるので、月一回のごちそうになってしまいます。週に何度も気軽に来てもらいたい。その為に、良い意味でこだわりすぎないようにしています。
―良い意味でこだわりすぎない。個人的にとても好きなフレーズです。ご夫婦で運営されていますが、その辺りはいかがですか?






僕は、職人気質で神経質というか、何でも細かいところまで気になってしまうタイプなんですが、奥さんが結構大胆で行動的なんですね。僕とは逆のタイプなのでお店をやるには丁度バランスが良いのかなと思っています。と言っても、タイプが違うので些細なケンカは多いですけどね。
―なるほど。良いバランスですね。今後、お店をどのようにしていきたいですか?






今はまだお店を開いて一年も経っていないので、とにかくお店を続けることを一番に考えていますが、将来的には、この地域をカッコイイ街にしていきたいなと考えています。その為に、マルシェのようなイベントを企画したりして、同じような趣味嗜好の人たちが集まれるようなコミュニティ作りをやってみようかと思っています。「伏見にカッコイイ街がある。」そんな風に思ってもらえるような街づくりに貢献出来たらいいですね。
―ありがとうございます。素敵な地域貢献ですね。最後に、休日はどのようにお過ごしですか?






勉強を兼ねて他のお店に食べに行くことが多いですね。また、二人の共通の趣味がマンガを読むことなのでマンガ喫茶に行ったりします。他には、休みの日にしか出来ないようなお店のことをやることが多いですね。奥さんは、ヨガに行ったり、人と会ったりしてます。

NEW INTERVIEW新着インタビュー

代表取締役営業マン小原です
MANAGER INTERVIEW VOL.154

代表取締役営業マン小原です

代表取締役 小原 美秋
PKS株式会社
ざっくばらんにお話すると、現在のPKS株式会社を始めるまでに3回事業を興したことがあるんです。まず、1回目は若い頃に飲食店をやりましたが、上手くいかずに閉めることになりました。それから、呉服屋に勤めたんです。当時の日本はバブル真っ只中。高額な着物と言えど飛ぶように売れました。そして、私はその呉服屋で学んだ販売手法を持って独立して呉服の販売を始めました。これが時代の追い風もあり大当たりしたんです。ピーク時は従業員100名で年商18億円を記録しました。しかし、その後訪れたバブル崩壊。この影響をまとも受けて7年で倒産することになりました。その後、その会社の後始末を私一人で呉服や宝石を販売しながらやっていましたがいよいよ行き詰ったんです。そして、公共事業をメインにしていた建設コンサルの会社に就職したんです。当時私は37歳でした。しかし、3年程経った頃、公共事業が下向きになってリストラが始まったりと会社ガタガタ揺らぎ始めたんです。当時私は40歳。転職を決意し、当時の取引先の紹介でプラスチック製品の製造を行う会社に転職することになりました。  
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MANAGER INTERVIEW VOL.152

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代表取締役 田中 光照
株式会社サンライズ
現在のビデオ試写室の前身の事業を、建設系の会社が経営していたんです。前身の事業というのはテレクラなんですが、そのテレクラに20歳の時にアルバイトで入ったんです。これがキッカケです。当時のアルバイトのメンバーは仲のいいメンバーで、働いているという感じよりも、ただそこに居てワイワイしているという感じでした。仕事が8時間で終わっても家に帰ってやることが無いので仲間のいるその場所に16時間位いるというようなことが日常でした。感覚的に皆が8時間で「1」する仕事を、私は16時間かけてやっているような感じでした。つまり8時間では「0.5」な訳です。ですから、上層部は「あいつを辞めさせろ。」と言っていたようなんですが、私の上司であり会社のナンバー2の先輩がそれを止めてくれていたようでした。その期待を受けてという訳ではありませんが、長時間店にいると次第に「0.5」が「0.6」になり、そして「0.7」になっていきました。このようにじわじわ仕事が出来るようになっても、相変わらず私は16時間いますから結果的に「2」やるようになったんです。  
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MANAGER INTERVIEW VOL.149

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代表取締役 奥野 寛
株式会社コスモメンテナンス
先代であり私の父である現会長が勤めていた会社の防災部門が廃止されたことをキッカケに同僚2人と自宅で開業して、年商1億円ほどの事業を展開するも、従業員の一人が転職して、もう一人がなんと元居た会社が防災部門を再開するからということで引き抜きの出戻りに合って退職して、従業員がいなくなったところに満を持して93年に私が入社した。と、この辺りまでは、ホームページ内のブログで書いていましたよね。入社するまでの私はと言うと、学生時代は全然勉強をしてこなくて、京都市内の四年制大学を数校受験するも合格せず、「とりあえず短大に入って卒業のタイミングで四年制大学に編入したらいい!」という話を鵜呑みにして短大に行ったんです。しかし、編入試験には合格せず四年制大学へ編入できなかったんです。ですから、短大卒業後は何か志を持つ訳でもなく、大手ファストフードチェーンで何となくアルバイトをする日々を送っていました。そんな時に、父から「フラフラしてるんなら手伝え!」と言われて手伝いだしたんです。これが家の仕事に入ったキッカケです。