経営者インタービュー詳細

VOL.68

  • 投稿日:2023.5.23
  • 編集日:2023.5.23

最高のオーダースーツを紡いでいると最高の人との出会いも紡がれるんですよ。

株式会社 マーノ

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代表取締役平塚 鉄也
最高のオーダースーツを紡いでいると最高の人との出会いも紡がれるんですよ。
―経営者になろうと思われた動機やキッカケは何だったのでしょうか?






私は独立前、父が営むオーダーメイドスーツのテーラーで17年間働いていたんです。その父のテーラーでは、完全なフルオーダーというより、イージーオーダーに力を入れていました。週末になると色々な地方を飛び回り、展示会を開催しイージーオーダーのスーツを販売するということを繰り返していました。イージーオーダーと言えどオーダーですから採寸をするわけですが、とにかくお客様が多いので流れ作業のように採寸をしないと追い付きません。その為、お一人お一人のお客様とのやり取りも希薄になってしまうんです。「これは、果たしてオーダーなのか?」私は、フルオーダースーツの経験もありましたから余計にそう感じていました。そんな時に、深くお付き合い頂いていたお客様に「独立したら?」と、言ってもらったんですね。これが大きなキッカケですね。それから、独立を意識するようになり、本当に自分がやりたいテーラーをやろうと独立しました。
―経営者になろうと思われた動機やキッカケは何だったのでしょうか?
―なるほど。お店には、スーツの生地だけでなく靴も見受けられますが、靴のオーダーも出来るのですか?






そうです。オーダーシューズもやっています。
―珍しいというか、何だかスゴイですね。どの靴もやたらとカッコイイんですが、どんな特徴がありますか?






イタリアの靴職人のマックスが、来日して靴を採寸し、イタリアに持ち帰ってオールハンドメイドで作成します。世の中には、色々オーダーシューズはありますが、職人と直接会ってやり取りをして作り上げるオールハンドメイドのオーダーシューズはそうそうあるもんじゃないですよ。それも、イタリアの超一流靴職人です。マックスのクライアントには、超高級外車メーカーのオーナーやイタリアの超有名サッカー選手がいます。
―ますますスゴイですね。靴の他にも、女性の服も見受けられますが、女性の服もオーダーできるのですか?






そうです。弊社はレディースも非常に得意なんです。他のテーラーを悪く言うつもりは決して無いのですが、女性の敏感なセンスに付いていけないテーラーが多いんですね。その為、レディースのオーダーを受けないところが多いんですよ。弊社では、女性の敏感なセンスに付いていけるようにファッションに敏感でファッションが大好きな女性スタッフの力を借りる等して、そういったレディースのオーダーもお受けしています。また、私が「出来ないと言うのが嫌。」という性格と、弊社のアグレッシブに挑戦してくれる職人さんのお陰もあって、日に日に様々な事例やパターンが蓄積されています。これにより、他のお店で断られたというようなお客様の要望にもお応えできる幅が、日に日に広がっています。
―社長と職人さんがとてもいい関係でいらっしゃるんですね。お客様には、どのように貢献したいとお考えですか?






私自身が、このオーダーメイドスーツという服作りを通して皆様との出会いを楽しんでいるんですよ。メンズ、レディースを問わず服作りは楽しいですし、靴づくりも楽しい、そして皆さんとの出会いが何より楽しいと感じています。お客様にも、私と全く同じとは言いませんが、オーダースーツやオーダーシューズ作りを楽しむのと同時に、人との出会いを楽しんで頂ければと考えています。
―ありがとうございます。ここまででも他のテーラーさんとは違うのは分かりますが、他にはありませんか?






一言でいうと、「採寸の仕方が違う。」ということですね。弊社は、完全なる「ゼロ」の状態からスーツを作り上げます。他社さんは、工場で作ることが前提なので、そもそもの考え方が「工場ファースト」なんですね。工場で作るために、弊社のようにすべてのスーツを「ゼロ」の状態から作ることが非常に難しいんです。その為、他社さんはオーダーと言いながらも「パターン」が存在します。パターンがあるので、採寸しないところが出てきます。つまり、ご自身の体に合った完全なるオーダーメイドスーツにはなり得ないということです。でも、弊社は冒頭で申し上げた通り完全なる「ゼロ」からスーツを作り上げます。「採寸の仕方が違う。」というのは、こういうイメージです。
―なるほど。常日頃、従業員の皆様へはどのようなことをおっしゃられていますか?






現在弊社では5名のスタッフが頑張ってくれていますが、皆に「お客様の身になって考えてあげて欲しい。」ということは常々言っています。私どもはオーダースーツを扱っていますので、どうしても納品まである程度の時間を必要とします。しかし、「急ぎで仕立てて欲しい。」というお客様もいらっしゃいます。そういったお客様でも、無下にお断りするのではなく、お客様の要望を叶えるための方法を探して可能な限りお客様の期待に応えて欲しいと考えています。また、人との繋がりを大切にするようにということも言っていますね。
―ありがとうございます。今後、会社をどのようにしていきたいですか?






職人さんの高齢化が直近で解決しないといけない課題なんですが、これを解決するために縫製教室のような技術の承継の場を作りたいと考えています。また、そこで技術を学んだ皆さんがそのまま縫製職人として活躍できる縫製工場を縫製教室と併設したいと考えています。

NEW INTERVIEW新着インタビュー

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MANAGER INTERVIEW VOL.154

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代表取締役 小原 美秋
PKS株式会社
ざっくばらんにお話すると、現在のPKS株式会社を始めるまでに3回事業を興したことがあるんです。まず、1回目は若い頃に飲食店をやりましたが、上手くいかずに閉めることになりました。それから、呉服屋に勤めたんです。当時の日本はバブル真っ只中。高額な着物と言えど飛ぶように売れました。そして、私はその呉服屋で学んだ販売手法を持って独立して呉服の販売を始めました。これが時代の追い風もあり大当たりしたんです。ピーク時は従業員100名で年商18億円を記録しました。しかし、その後訪れたバブル崩壊。この影響をまとも受けて7年で倒産することになりました。その後、その会社の後始末を私一人で呉服や宝石を販売しながらやっていましたがいよいよ行き詰ったんです。そして、公共事業をメインにしていた建設コンサルの会社に就職したんです。当時私は37歳でした。しかし、3年程経った頃、公共事業が下向きになってリストラが始まったりと会社ガタガタ揺らぎ始めたんです。当時私は40歳。転職を決意し、当時の取引先の紹介でプラスチック製品の製造を行う会社に転職することになりました。  
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MANAGER INTERVIEW VOL.152

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株式会社サンライズ
現在のビデオ試写室の前身の事業を、建設系の会社が経営していたんです。前身の事業というのはテレクラなんですが、そのテレクラに20歳の時にアルバイトで入ったんです。これがキッカケです。当時のアルバイトのメンバーは仲のいいメンバーで、働いているという感じよりも、ただそこに居てワイワイしているという感じでした。仕事が8時間で終わっても家に帰ってやることが無いので仲間のいるその場所に16時間位いるというようなことが日常でした。感覚的に皆が8時間で「1」する仕事を、私は16時間かけてやっているような感じでした。つまり8時間では「0.5」な訳です。ですから、上層部は「あいつを辞めさせろ。」と言っていたようなんですが、私の上司であり会社のナンバー2の先輩がそれを止めてくれていたようでした。その期待を受けてという訳ではありませんが、長時間店にいると次第に「0.5」が「0.6」になり、そして「0.7」になっていきました。このようにじわじわ仕事が出来るようになっても、相変わらず私は16時間いますから結果的に「2」やるようになったんです。  
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MANAGER INTERVIEW VOL.149

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代表取締役 奥野 寛
株式会社コスモメンテナンス
先代であり私の父である現会長が勤めていた会社の防災部門が廃止されたことをキッカケに同僚2人と自宅で開業して、年商1億円ほどの事業を展開するも、従業員の一人が転職して、もう一人がなんと元居た会社が防災部門を再開するからということで引き抜きの出戻りに合って退職して、従業員がいなくなったところに満を持して93年に私が入社した。と、この辺りまでは、ホームページ内のブログで書いていましたよね。入社するまでの私はと言うと、学生時代は全然勉強をしてこなくて、京都市内の四年制大学を数校受験するも合格せず、「とりあえず短大に入って卒業のタイミングで四年制大学に編入したらいい!」という話を鵜呑みにして短大に行ったんです。しかし、編入試験には合格せず四年制大学へ編入できなかったんです。ですから、短大卒業後は何か志を持つ訳でもなく、大手ファストフードチェーンで何となくアルバイトをする日々を送っていました。そんな時に、父から「フラフラしてるんなら手伝え!」と言われて手伝いだしたんです。これが家の仕事に入ったキッカケです。