経営者インタービュー詳細

VOL.71

  • 投稿日:2023.5.24
  • 編集日:2023.5.24

おもしろくない?じゃぁ、僕達が面白くしますよ!世界丸ごとね。

株式会社 おもれい

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代表取締役社長大亀 靖治
おもしろくない?じゃぁ、僕達が面白くしますよ!世界丸ごとね。
―経営者になろうと思われたキッカケは何だったのでしょうか?

大学在学中にフリーペーパーを制作する団体を作ったんですね。それが、あるビジネスプランのコンテストで準優勝したんですよ。そして、そのコンテストでの準優勝の特典が、「堀場雅夫さんと会える」というものだったんです。実際に堀場さんとお会いして色々お話を聞かせてもらって相当量の刺激を受けました。そして、大学在学中に株式会社おもれいを設立しました。

―経営者になろうと思われたキッカケは何だったのでしょうか?
―なるほど。御社名はかなり特徴的だと思いますが、どのようなテーマや思いが「株式会社おもれい」にはあるのでしょうか?

高杉晋作の「おもしろきこともなき世をおもしろく」という辞世の句が由来となっています。また、名刺やホームページ等色々なところに掲げているのが、「世界をさらにおもしろく」というテーマです。おもしろいサービスを創造して、そのサービスを誰かの手元に届ける。そして、そのサービスを受け取った方に面白い会社と思ってもらいたい。そんな風に考えています。

―ありがとうございます。フリーペーパーから始まって、その後どのような事業をされたのでしょうか?

焼き栗の屋台、焼き芋の屋台、通信大手のインターネット回線の販売等色々なことをやりました。

―多角的に事業展開をされてきたんですね。では、現在の基幹事業はどのような事業ですか?

現在は、「部活動」を切り口に高校生に対して、進学に関する情報提供を行っています。

―進学に関する情報提供というのは分かりますが、「部活動」を切り口にというのはどういった活動なのでしょうか?

弊社では、全国各地で「部活フェス」という、「試合と進路相談をセットにしたイベント」を開催しています。そのイベントでは、試合の合間に会場に設置された「資料請求ブース」で色々な大学や専門学校の資料請求を行うことが出来る他、「進路相談ブース」では、イベントに参加した大学、専門学校に直接相談をすることも出来ます。このように「部活動」をしている生徒に少しでも広く進学先の情報を集める機会を提供しています。

―なるほど。では、なぜ「部活動に取り組んでいる高校生」に対して、進学に関する情報提供をしようと決められたのですか?

私自身が、体育会系の出身だということもありますが、なにより部活に取り組んでいる生徒達は自分の進路を安直に決めがちなんです。平日は、授業の前後に練習をして、週末は一日中練習や試合がある訳です。ゆっくり進路について考えたり、資料請求をする時間が取り難いんですね。そんな状態なので安直に決めてしまう気持ちも分かるんですが、もっと選択の幅を持たせてあげたい、活躍の場を広げてあげたいと思い部活に取り組んでいる生徒に対して情報提供を始めました。

―そういうことだったんですね。試合に行った場所で、進学についての資料請求や相談が出来るのは生徒としてもありがたいですね。現在のこちらのサービスの利用者数はどれくらいでしょうか?

年間約3万名の方にご利用頂いています。5年前は500名程度だったんですが、ここ数年で50倍程度まで利用者数を伸ばすことが出来ました。生徒を募集される側の大学や専門学校からも、自身の進路を考える生徒の皆様からも必要とされている実感を持っています。

―素晴らしい価値提供をされていますね。話の角度が変わりますが、スタッフの皆様へは常日頃どのようなことをお話されていますか?

私たちは、高校生の皆様へ進路選択の機会を提供する仕事をしています。明るくて楽しくて考えるだけでワクワクするような未来を胸に抱きながら進路選択をしている生徒に対し、その機会を提供している私たちが、会社の愚痴を言ったり、仕事が楽しくないなんて思っていては困ります。ですから常日頃から、「仕事を楽しむことの重要性」を伝えています。スタッフに「楽しめ!」と言いながら、何もかもがんじがらめでは楽しむものも楽しめないので、かなりの自由度を持ってもらっています。仕事中に私用で抜けてもいいし、コーヒーを飲みに行ってもいいし、ヘアサロンに行ってもいい。それくらい自由度を持ってもらっていますが、皆毎日真剣に仕事に取り組んでくれています。

―なるほど。それだけの自由度を持たせてもらっているのを理解できているからこそ、日々真剣に仕事に取り組めるんだと思います。会社の今後については、どのようなことをお考えですか?

事業としては、通信制サポート校を設立する事業と、部活指導員向けの教育コンテンツの提供事業に力を入れていこうと計画しています。また、私の目標としては、5年以内に現在の年商を3倍から4倍程度まで伸ばし上場を目指します。

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代表取締役 奥野 寛
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