経営者インタービュー詳細

VOL.75

  • 投稿日:2023.5.24
  • 編集日:2023.5.24

患者が病院に行く医療があるなら医者が家に行く医療があってもいいんじゃないか。

医療法人双樹会 よしき往診クリニック

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院長守上 佳樹
患者が病院に行く医療があるなら医者が家に行く医療があってもいいんじゃないか。
―貴院は在宅医療のクリニックとのことですが、それに決められた理由はなんでしょうか?

きっかけは、勤務医時代に、目の当たりにした外来患者様の高齢化です。一人で通院することが難しくなったご高齢の方の中には、次第に病院に行く回数が減ってくる方がいらっしゃるんですね。でも、薬は必要な訳ですから、ご家族の方や代理人の方が薬のみの診療で通院されるんです。でも、それでは良くならず、最悪何もできないまま自宅で亡くなる。こんなケースをよく目の当たりにしたんですよ。これからは家へ訪問する医療が今まで以上に絶対必要になってくる。そう痛感し当院を立ち上げました。

―貴院は在宅医療のクリニックとのことですが、それに決められた理由はなんでしょうか?
―ありがとうございます。日本おいて高齢者層が減ることは考えにくいので、素晴らしい医療体制の在り方だと思います。しかし、「在宅医療」という言葉そのものに馴染みのない方が多いと思います。「在宅医療」も含め貴院はどのようなクリニックなのでしょうか?

患者様に住み慣れた家、住み慣れた地域で人生を全うしてもらいたい。お一人お一人を尊重し、最期は患者様にもそのご家族にも「よく頑張った。」と、感じて看取りが出来るような体制を整えることが在宅医療であり、それに24時間365日体制で対応しているのが当院です。

―なるほど。「24時間365日体制で対応」とは、そう簡単に言えるものでも実現できるものでもないと思いますが、それを実現し実行されている根本にある思いや考えはどのようなものなのでしょうか?

私の父も医師で開業医なのですが、在宅医療という制度が出来る遥か以前から、クリニックのある地域で精力的に往診を行っていたんですよ。診療所の壁に、「何かあったらかけてくるように!」と電話番号を大々的に掲げていました。そして、電話があれば深夜でも往診に向かっていました。そんな父の背中から「医療の原点」を感じ学びました。そんな父を見ていたので、24時間365日で対応するという考えは私にとってはさほど特別なことではないんですよ。

―素晴らしいとしか言えません。地域医療に貢献するとは正にそういうことなのだろうと思います。しかし、守上先生がとんでもない鉄人でもお一人で24時間365日対応することはできないと思います。どのように対応されているのでしょうか?

当院には、最強のチームがいます。当院の診療科目は、内科、呼吸器内科、循環器内科、小児科、外科、整形外科、救急科と多岐に渡りますが、どの診療科目も一流のドクターが揃っています。また、ドクター以外の院内スタッフも一流です。院内スタッフの皆が院内のみならず訪問診療にも同行することで、ドクターがより診療に専念できる環境が整う訳です。

―すごいですね。「優秀なスタッフの採用」というのは、先生のような医療機関だけでなく、他の一般企業の経営者の皆様も非常に関心のあるところだと思います。どのような採用活動をされているのですか?

何か求人媒体に求人広告を出したり等、採用活動らしい採用活動は行ってないんですよ。私たちが日々、「24時間365日体制で対応すること」そして、「そのクオリティ」について徹底して追及してきた結果、私たちの考え方に共感してくれた優秀な人材が、また優秀な人材を呼び寄せる。そんな風にして優秀な人材が集まり、現在の最強のチームが出来上がりました。

―すべてにおいて好循環ですね。そして、その好循環の恩恵が地域医療に還元されている。本当に素晴らしいことだと思います。昨年から続くコロナ禍において何か取り組みを始められたことはありませんか?

コロナウイルスの検査で陽性反応が出たものの受け入れられる病院が見つからず自宅療養。しかし、容態がどんどん悪くなり死亡。皆様も、そんな痛ましいニュースを目にされたことはある思います。そんな方を一人でも多く救うために私たちは、現在行政と一緒になって「日本初」の「新型コロナウイルス専属の特殊チーム」を組んで自宅療養を余儀なくされているコロナ陽性患者様に対し在宅医療を提供しています。「家から出ることが出来ない」という意味では、一人で通院出来ない高齢者の患者様もコロナ陽性患者様も同じですから。

―なるほど。新型コロナウイルスに関しても取り組みをはじまられているんですね。今後、クリニックをどのようにしていきたいですか?

現在は、当院のある西京区や隣接している右京区や向日市を中心に活動していますが、もっともっと優秀なドクターや地域の病院を巻き込み、地域をまたぎ活動の場を広げていこうと考えています。また、場合によっては医療だけでは解決できない問題もあるので、あらゆる業界とのパートナーシップも構築し、より持続可能な医療を提供できる社会にするために今日も私たちはがんばります。

―ありがとうございます。最後に、こちらの記事を読まれている皆様へメッセージをお願いします。

人生の最期、ご自宅での療養を望まれるご家族があれば、私たちに出来ることは厭わず行えたらと思っております。

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