経営者インタービュー詳細
VOL.92
- 投稿日:2023.5.24
- 編集日:2023.5.24
“心を磨く”じゃないと良いものなんて出来ませんよ
田中昭義左官株式会社
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代表取締役田中 昭義
ホームページの通りで父が左官業をやっていました。そんな父の背中を見て育ちましたし、何より私は「家業を継ぐことは当然の事だ。」と思っていたんです。ですから、他の道に進むなんて考えたことはありませんでした。高校を卒業したらすぐに家業に入ってもいいかなと考えていたのですが、父から「大学に行きなさい。」と言われたんですね。そして、大学に進学して、いよいよ就職活動が始まるというそんな時期に私から父に、「家業を継ぐ。」と話したんです。すると父が、「いらん。」なんて言うんですよ。そんなことを言われても私が引かないでいると「勝手にしい。」と言われて、私は外に修行に行くことを決意しました。そして、「いいところへ行けばつぶしが効く。同じやるなら京都で一番の左官屋さんに行こう。」と決めて、佐藤左官工業所に行くことにしました。こうして、私の左官の修業時代が始まる訳ですが、当初は5年で家業に戻ろうと考えていたんです。しかし、いざ5年経ったタイミングで父に戻る意志を伝えると、「何言うてんの?」と言われて帰れなかったんです。そして、時間が流れて8年目の時に結婚して、10年を迎えるタイミングで家業に戻るのではなくて独立したんです。
独立したもののいきなり沢山の仕事があるはずもなく、日本全国、声を掛けてもらえるところに応援というかたちで行かせてもらっていました。そんな仕事を独立してから2年程やっていました。日本全国の色々な場所の色々な建物を見て触れていく中で、「京都のやり方が一番すごい!」と改めて確信することが出来たんです。それと同時に、「人の応援をやっている場合じゃない。自分がこれをに後世に残すんや!」とある種の使命感のような感情が心の中に芽生えました。
経営者としてもやはり、この技術を後世に残すということを大切にしています。その為に、組織を株式会社として法人化しました。というのも、私達の業界に身を置く多くの方は個人事業主として働かれています。それ故、年齢を重ねても、体を壊しても働かないといけないんです。なぜなら、単純に休むと収入が途絶えるからです。しかしながら、私も大学卒業以来、そんな業界に身を置いているので他の世界を知らないんですが、私の家内は会社員なんです。そんな家内から福利厚生制度というものはどういうものかと言うことを教えてもらい、その素晴らしさに衝撃を受けました。この福利厚生制度を私の組織でも導入し、辞めたくても辞められない。無理にでも働かないといけない。そんな状況をなくしたいんです。そして、こういう改善をしていくことで、技術を継承できる人材の確保が出来ると考えています。
毎日毎日、気が付くと「今よりももっと良くなるためにはどうすればいいのか?」と言うことを考えています。これについては、片手間ではなくそれだけをちゃんと考える時間を作らないといけないと考えていますので、朝5時半から1時間程度はゆっくり落ち着いて、今よりも良くなるためにということやその他いろいろなことを考えています。「頭の中を整理する時間」。これはやはり大切ですね。
私達の仕事は、どうしても「日数」という「時間」が必要な仕事なんです。その時間が掛かる理由の一つに「手仕事だから」ということが挙げられます。壁紙を貼れば数時間で終わることを、私たちは時間を掛けて手仕事で仕上げていきます。時代に逆行しているのかもしれませんが、手仕事だからこそ訴えかける何かがあります。それは、ある人にとっては「幸せ」という気持ちかもしれません。また、ある人にとっては「安らぎ」かもしれません。このように私達が仕上げる壁には、それに触れる方に対して訴えかけるものがあります。それを理解した上で、手仕事で仕上げていく。こうすることが私達のお客様への貢献だと考えています。
現代生活を取り巻く多くの「技術」は、時代に合わせてその時々で変化してきます。しかし、私たちは「手仕事」にこだわり、「手仕事の究極」を追求していきたいと考えています。その為に、昔の道具、材料、工法を後世に継承していかなければなりません。昔、現代のようにモノが無い時代は、技術でカバーするしかありませんでした。そういうことを現代においても大切にし、継承していきたいんです。そして、今後についてですが、今よりももっと正直に昔のやり方をやっていこうと考えています。ここ数年、土壁や漆喰の壁は一般住宅においてもとても人気が高いです。ですから、儲けようと思えば儲けやすい状況にあると思います。しかし、私たちはそうじゃないんです。儲けがどうとかそういう事よりも、土壁や漆喰の壁を専門にする店として、単純で正直で面倒で邪魔くさいことに唯々直向きに全員で取り組んで後世に残していこうと考えています。儲けとかそういう事ではなく、ただ純粋に私たちの技術が必要になる。その時のために、粛々と道具、材料、工法、そして私の思いを残していきたいと考えています。